A-cars Historic Car Archives #033

'69 Chevrolet Camaro Z/28

69年型シボレー・カマロZ/28


Text & Photo : James Maxwell

(Muscle Car Review/2006 Mar. Issue)

 Nov. 15, 2024 Upload

 

 カマロZ/28のコンセプトが誕生したのは1966年のこと。当時、シボレーのプロダクション・プロモーション・マネージャーの席に就いていたヴィンス・ピギンズは、人気が急上昇していたトランザム・レースに注目していた。トランザムというのは"Trans-American Sedan Series"の略で、2ドアでもリアシートを持つ車種なら参加できたロードレースのこと。1966年の時点でシボレーは新たなポニーカーのコンセプトを考えており、どうせならこのトランザム・レースに殴り込みできるようなクルマを作ってやろうじゃないか、という考えからZ/28というオプションが誕生した。

 SCCA(Sports Car Club of America)の主催で行われていたトランザム・レースに参戦可能な車両は市販車ベースが原則。しかもエンジンは305cuin(5.0L)以下と定められており、その他車重は2800ポンド以下、ホイールベースは116インチ以下、リアの足まわりはホーシング式でなければならない、といったレギュレーションがあった。

 当時のシボレー・ゼネラルマネージャー、エリオット・エステスの尽力により、トランザム・レースにベストマッチングな302cuinの新型V8エンジンが誕生した。正確には302.4cuinというこの排気量は、327cuinのブロックに283cuin用のクランクシャフトを組み合わせたことによって実現した。シリンダーヘッドはコルベットのL79用が採用され、圧縮比は11.0:1。等長ハイライズ・インテークには800cfmのキャブレターが載せられ、超高回転仕様に仕上げられた。当時のファクトリー・スペックは290馬力と示されていたが、実際には350馬力かそれ以上を発揮していたという。

 足まわりにはフロント、リア共にヘビーデューティ仕様のスプリング&ショック・アブソーバーを採用。その上でフロントには強化ボールスタッド、リアには強化ラジアスアームが採用された。トランスミッションはマンシーの4スピード・クロスレシオが採用され、フロントにはパワー・ディスクブレーキが標準装備された。これだけを見てもZ28がシリアスなパフォーマンス・パッケージだったことがわかるだろう。

 吸排気に関しては、外気をカウル部から強制吸入させるフレッシュ・エアキットがオプションで用意されたが、さらにチューブラー・ヘダースまでもがオプションで用意されていた。だが当時はなぜかヘダースはエンジンに組みつけられず、トランクに積まれた状態て納車されたという。ちなみにそのヘダースのオプション価格は437ドルと高価であり、ほとんどの人は純正オプションではなく、より安価な社外品のヘダースを選んだ。

 SS350カマロのRPO(Regular Production Option)コードはZ27で、その次にリリースされたカマロは順序的にZ28となった。そして「PRO Z28のプロダクション途中でプロジェクトに加わっていたスタッフのひとりが「Z28をそのままモデル名にしたらカッコイイ!」と言い出し、マーケティング部がいたずらに“Z”と“28”の間に“/”を入れ、かの有名な"Z/28"というネーミングが生まれたのだという。

  初期のZ/28オプションは通称スペシャル・パフォーマンス・パッケージとして知られ、その内容は、302cuinV8エンジン、ポジティブ・ベンチレーション、デュアル・エキゾースト、強化フロント&リアサスペンション、ヘビーデューティ・ラジエター&ファン、クイック・レシオ・ステアリング、15×6ホイール&7.35×15レッドストライプ・タイヤ、3.73:1リアエンド&ポジトラクション、4スピード・クロスレシオ・トランスミッション、パワーブレーキ、ボディストライプスといったものだった。

 

 

 ストリート・ユースというよりもレーシング・ユース色が強かったZ/28だが、発売初年度=67年モデルイヤーに販売されたのはわずか602台。当時パフォーマンスモデルを積極的に取り扱っていたディーラー(Yenko, Nickey,  Ron Tonkinなど)に送られた車両もこの数字に含まれているが、一般のシェビー・ディーラーでも437ドルでこのRPO Z/28のオプションをオーダーすることは可能だった。

 1967年3月号で67年型Z/28のテストを行ったカー&ドライバー誌はこう評している。

「今まで数多くのアメリカンV8エンジンをテストしてきたが、これ程レスポンスの良いエンジンは初めてだ。強いて言えば、キャブレターの異常に大口径なヴェンチュリーのせいか低速で若干バラつきを感じるのだが、一旦パワーバンドに入ってしまえば426HEMIのような暴力的な加速を見せる」

 では、さらにスープ・アップされた67年型Z/28はどのようなパフォーマンスを見せたのか? エンジン・ビルダーのスモーキー・ユニックがその答えを出した。1967年10月、ボンネビル・ソルトフラッツで彼が仕上げた67年型Z/28のステアリングをあのミッキー・トンプソンが握り、174.344mph(約279km/h)の最高速を記録した。これはクラスCアメリカン・ストックの新記録で、302cuinにシングル4バレル・キャブレターということを考えれば素晴らしい数字だ。

 そのユニックが、ホットロッド誌68年3月号の記事中でそのZ/28のモディフィケーションについて説明している。そこでピストンやコンロッドの加工、ポーティング、さらに各クリアランスまでこと細かく解説したうえで、ユニックは自信たっぷりにこう語っている。

「俺の言った通りに302エンジンをモディファイすれば465馬力以上出るエンジンが出来上がる。しかも常に7500~8000回転でまわしても絶対に壊れない」

 シボレーは次に出る1968年型Z/28の広告に「最もコルベットに近い乗り物」「ワイドで目立つラリー・ストライプはパフォーマンスを持たないが、そこには精神的パフォーマンスが宿っている」といったポジティブなキャッチフレーズを採用した。当時のシボレーは、コルベットほど高価ではないもののコルベットに匹敵するレベルのパフォーマンスを持ち、しかもリアシートを有しているカマロのアピールに専念していた。

 そして1968型においてZ/28カマロはさらなる進化を遂げることになる。それまでトランザム・シリーズを走るレースカーは一基のキャブレターの使用しか認められなかったが、この年からマルチ・キャブレターが許されることになったのだ。このレギュレーション改正に伴いZ/28には2×4クロスラム・インテークがおごられることになった。Winters Foundry社製アルミ・2ピースのインテーク・マニフォールドに、Holley製のダブル・ポンパー・キャブレターが2連装されたのである。キャブレターのサイズは当初580cfmだったが、その後600cfmにサイズアップされた。

 だが、この2×4キャブレター・セットアップはストリート・ユースには少々過激過ぎた。1969年のカー・ライフ誌の記事でも「一般道ではとてもじゃないが使い切れないパワー」と書かれたほどだ。それでも、絶妙なハンドリング、最高にクイックなエンジン・レスポンス、そして独特なエキゾースト・サウンドについては大絶賛で、「レースに参戦していなくてもその気にさせてくれるクルマ」と評した。

 このようにストリートでは過激ともいえるインテーク・システムだったが、レーシング・シーンでは大活躍だった。レース用にモディファイされた302にはこのセットアップは最高のマッチングを見せたのだ。特に4000~6500rpm間のパワーバンドでは信じがたいような加速を可能とさせたのである。

 結果的に68年型Z/28の販売台数は7199台まで増えた。冒頭に登場したエステスによると、Z/28の当初販売目標は400台だったが、あれよあれよと7000台分のオーダーが入ったという。そしてトランザムレースでマーク・ダナヒューの駆るカマロが勝利するたびに売れ行きは伸び、1969年モデルイヤーでは実に1万9014台ものカマロZ/28が販売された。

 69年型になって初めておなじみの4ボルト・メインのブロックが採用され、ブレーキも4輪ディスクに変更された。そして、一番目立った変化はエンジンフードが「カウル・インダクション」スタイルになったことだろう。すぐにそれは「スーパースクープ」という愛称で知られるようになり、そのパワフルなスタイリングに誰もが魅了された。この「スーパースクープ」は67年にラリー・シノダによってデザインされたもので、フロント側に口を開く従来のスクープとは異なり、フード後方部が空いていて、そこから空気を吸い込む画期的なデザインだった。にも関わらずこのスクープが69年型まで採用されなかった理由はSCCAのレギュレーションにあった。実は68年まではフードスクープの使用が禁止されており、前方の視界を妨げない高さならOKという条件付きで69年から使用が認められたのだ。このカウル・インダクション・フードはディーラーではZL2というRPOコードで知られ、スチール製のスタンダード・フードに対し、2×4キャブレター搭載車には軽量なファイバーグラス製が用意された。

 

 

 さて、先ほど名前が挙がったマーク・ダナヒューだが、彼はSCCAトランザムで実質的なシボレーのファクトリーチームだったペンスキー・チームのエース・ドライバーとして活躍した人物。25戦中18勝という圧倒的な強さを見せ、68年、69年と2年連続でシボレーにチャンピオンシップをもたらした立役者であり、エステスのお気に入りでもあった。

 ペンスキー・カマロは見た目もアグレッシブで、アルミ製バンパーやアシッド・ディップド・ボディの採用などで超軽量化を果たしていた。さらにジム・トラバース&フランク・クーンズの手によって組まれたエンジンをはじめ、レースに勝つ事だけを考えたモディフィケーションを纏ったカマロは正に敵なしだったといても過言ではない。ドライバーではダナヒュー以外にもエド・レスリーやロニー・バックナムが活躍した。

 これらのペンスキー・カマロには当時としては珍しいオンボード・コンピュータが搭載されていたことも知っておきたい。レース当日はコース近くに「覆面」バンを止め、コースを周回するカマロのエンジンやサスペンションのデータを受信してサポートを行っていたのだ。この「覆面バン作戦」はいうまでもなく極秘裏に行われたもので、チームのパフォーマンスにおいて重要な役割を果たしたという。

 最終的に69年のSCCAトランザム・シリーズにおけるマニュファクチャラーズ・ポイントは以下のような順位になった。

 

①シボレー・カマロ/78ポイント

②フォード・マスタング/64ポイント

③ポンテアック・ファイアーバード/32ポイント

④AMC・ジャベリン/13ポイント

 

 まさにカマロは“キング・オブ・ポニーカー”だった。もともとダナヒューと仲が悪かったというフォードのエース、パーネリ・ジョーンズはチャンピオンシップを総なめにして行くカマロに腹を立てたというが、そんなことはお構いなしで69年シーズンのカマロはマスタングを蹴散らしたのだ。

 当時フォードのレーシング・チームはファクトリーからフルサポートを受けていることを明らかにしていたが、シボレーはファクトリー・サポートを否定していた。だがジョーンズはペンスキー・チーム・クルーの半数以上がシボレー・ファクトリーからの引き抜きであることを指摘し、「シボレーの言うことはデタラメだ」と罵った。この当時、前出の「覆面バン」の存在が明らかになっていたら果たしてどんな騒ぎになっていたことやら……。

 

 今回取材したカマロの“X-77”とは、ベースモデルにスペシャル・パフォーマンス・パッケージのオプション(RPO Z28)が足されていることを意味する。かの有名なマッスルカー・コレクター、ビル・ワイマン氏が所有するこのカマロは、もとから最高のコンディションのままに保存されていたもので、未だに毎日の足として問題なく使用できるドライバビリティを有しているという69年からタイム・スリップしてきた様な個体である。

 このハガー・オレンジにペイントされたカマロはオハイオ州ノーウッドのGMファクトリーで産声をあげ、数年前にChev Connectionのマーク・ヤング氏によって今の形にまでレストアされた。このカマロにはレア・アイテムであるD80・フロント&リアスポイラーと15×7ラリーホイールが備わっている。センターコンソールは新車当時から装備されていない。また、タコメーターは8000rpm仕様となっている。その他のレアなポイントは「ノーラジオ」フィーチャー。本来ラジオが入っている場所はプレートで塞がれていて、アンテナが付いていないのだ。メーターパネル中央にフューエルゲージがセットされているのも特徴的。リアエンドにはポジトラクションが標準で組み込まれ、スポーツ・チルト・ステアリングも当時のまま備わっている。驚くことに普通は外され、捨てられてしまうスモッグ対処パーツまでオリジナルのまま残されている。

 このカマロのアクセルを踏み込んで2基のHolleyを全開にしてやると、ハイパフォーマンス・ポニーカー栄光の時代の記憶が蘇ってくる。マーク・ダナヒューがコース上をカッ飛んでいたあの頃、シボレーはカマロと言うクルマに計り知れないほどの努力、そして情熱を注いでいたのである。

 


69年型カマロはフェンダーの形状なども変化。このサイドビューからは、前年までは円弧を描いていたホイールアーチ上部が平らになっていることがよくわかる。また、リアフェンダーのホイールアーチ前方にルーバーを配したのも69年型からだ。


キャブレター上部の汚れが、普段から乗られていることを物語るが、取材車の302エンジンは絶好調で、現在でも余裕で7200rpmまでまわるとのこと。シングル4バレルの302DZはカタログスペックで290馬力となっているが、この数値が控えめなものであったことは現在では周知の事実。本文にもあるように、2×4バレル仕様の302DZの場合、多少手を加えることで最高出力は450馬力を軽く超えたと認識されている。


カウル・インダクション・フードはフード後方からフレッシュ・エアを吸入するシステム。フード開けるとエアクリーナーとどのように繋がっているかがよくわかる。取材車はデュアルでホーリーの4バレルを搭載するが、この2×4バレル仕様車にはグラスファイバー製のカウル・インダクション・フードも用意され、取材車のフードもファイバー製である。なお、このデュアル・キャブレターやクロスラム・インテークなどはいずれもファクトリー・オプションだがRPOコードなどには存在しない(カウル・インダクション・フードはRPOコードZL2)。このためVINなどからは302DZ搭載車であることはわかるが、それがシングル4バレルか2×4バレルかを判断することはできない。それがオリジナルか否かは、インテークやキャブレターのキャスティングナンバーなどから追うことになる。


カウルタグから読み取れる取材車の素性は、ペイントコード72=ハガー・オレンジ。X77=RPO Z28オプション選択車。そしてD80=スポイラーパッケージといったところ。


デラックス・インテリアを採用しているがセンターコンソールを持たないのが取材車のインテリアにおける特徴。タコメーター下のウッド調プレート部分には本来ラジオが備わる。取材車は“Non-Radio Car”や“Radio Delete”として知られるレアなモデル。タコメーターは8000rpmまで刻まれている。シートはスタンダード・バケットではなく、トリムコード713のブラックレザーと千鳥格子のクロスを組み合わせたカスタム・インテリアを選択している。


レースにおいて確実なダウンフォースが証明されたD80のフロント&リアスポイラー。特にフロントスポイラーは冷却効果を上げる働きも持っている。


キャップの形状が特徴的なラリーホイールにセットされたタイヤは、お約束のグッドイヤー・ポリグラス。