A-cars Historic Car Archives #028

'69 Dodge Charger 500

69年型ダッジ・チャージャー500


Text & Photo : James Maxwell

(Muscle Car Review/2008 Jun. Issue)

 Jul. 3, 2025 Upload

 

 1960年代後半のNASCARにおいてファクトリー・チーム同士が壮絶な戦いを繰り広げていたことは、レース・ファンならばご存知だろう。当時はフォードとマーキュリー、そしてクライスラーのダッジとプリマスが特にNASCARに力を入れていた。GMはファクトリーとしてのレース・サポートを公には自粛していたものの、こっそりとサポートを受けながらレースに参加しているチームは存在した。もちろん、他のメーカーに比べればその気合いの入れ方は比べ物にならなかったが……。

 当時のクライスラーはBボディをベースとするマシンをNASCARに投入していた。プリマスがベルべデア、そしてダッジがチャージャーである。ご存じの通り66~67年型チャージャーはリアのルーフラインがトランクに向かってなだらかに降り、横から見るとまるでファストバックの様なデザインを持っていた。レース仕様車もストックのボディにファクトリー・オプションのリアスポイラーがボルトオンされただけだったが、このボディラインは想像以上に空力に優れていたようで、デビッド・ピアソンがドライブする#6チャージャーが66年のグランナショナル・チャンピオンシップを制覇。そして68年にはプリマスがチャンピオンを獲得するが、ドライバーはあのリチャード・ペティだった。

 この68年モデルイヤーでチャージャーのボディは一新されており、特にルーフラインの変化は一目瞭然。それまでのファストバック・デザインと比較して、ルーフにはよりシャープなラインが与えられていた。ボディはドア部より前後のフェンダーが張り出す“コーク・ボトル・シェイプ”(上から見るとコーラ瓶に似ていたことからこう呼ばれた)が採用され、よりグラマーなスタイリングとなったのだ。この他にも、リアにはボディ一体型のスポイラーとレーシング・イメージの強いポップ・アップ式の給油口を採用。より洗礼された新しいルックスは、その迫力もあってファンの注目を集めた。

 実際に、第2世代となった68年型チャージャーは大人気となり、その販売台数は67年型対比で実に450%も上昇した。まさにグラマラスなニュー・ボディは大成功だったわけだが、その一方でこの68年型のボディはレースに全く適していなかった。まず、深く引っ込んだフロントグリル・デザインが、スピードウェイではマイナスだった。レース用のフロント・エアダムを装着した状態ではフロント全体が大きなエアスクープの様になってしまい、時速100マイルを超すと全くステアリングが効かなくなるほどの空気抵抗を発生させた。そのため、コーナーに差し掛かったドライバーは空気抵抗が減少しステアリング操作が可能な速度域まで減速することを余儀なくされたのだ。

 マイナス・ポイントはそれだけではなかった。“Flying Buttress”と呼ばれたセミ・ファストバック・デザイン、具体的にはリア・ウィンドウ両脇のパネルが大きく張り出しているデザインでサイド・ビューを重視したフィーチャーなのだが、高速走行時にそこへ入った空気が乱気流を発生させたのである。これは67年型までよりもリア・ウィンドウの角度が立てられたことが原因だった。

 

 

 これらの問題はいち早くダッジのファクトリーに伝えられ、すぐにボディの改善作業がスタート。実車および8分の3スケール・モデルによる風洞実験であらゆるパーツの組み合わせが試された。そして、試行錯誤の末にNASCARに適したエアロダイナミクスを持ったボディが完成した。

 まず、フロントグリルの問題は、68年型コロネット用グリルを出来る限り前方に固定することで解消。チャージャーの特徴ともいえるハイド・アウェイ・ヘッドライトと違いコロネットのグリルにはむき出しのヘッドライトが備え付けられていたが、エンジニア達はそれすらも気に留めなかった。

 一方リアウィンドウの問題は、ガラスとピラーの間の空間に鉄板が溶接され、より平面的なガラスがはめ込まれた。風洞におけるテストで、このモディフィケーションによってリア部に起きていた乱気流が消えることが確認されたのである。ここでは簡単に風洞実験と書いてしまっているが、その当時、風洞実験は決して安易な作業ではなかった。実験に要するコストは1時間あたり500ドルで、最終的にこのテストだけで10万ドル以上の費用を要したと言われている。当時の物価を考えれば、これは相当な金額である。こんなところからも、当時のダッジがどれだけNASCARに入れ込んでいたかが推測できる。

 そんな過程を経て生まれたのが69年型チャージャー500である。500という数字は、NASCARのレギュレーションに定められた規定販売台数=500台に由来するもの。つまり500台の限定販売だから“チャージャー500”とネーミングされたのである。また、スタンダードおよびR/T仕様の69年型チャージャーのボディはスポーツ・ハードトップと呼ばれたが、チャージャー500はファストトップという名称で区別されたことも憶えておきたいポイントだ。

 さて、新たなアイデアが盛り込まれたボディを纏ったチャージャー500の最高速度は改良以前と比較して3~5マイル上昇したといわれるが、なによりもスピードウェイを安全に走ることができるようになったことにダッジ・チームは胸をなでおろした。しかし、より空力に優れたファストバック・ボディを持っていたフォード&マーキュリーはやはり速く、相変わらず強力なライバルとして存在していた。

 さらに、このチャージャー500がリリースされた頃からNASCARの舞台に変化が起きていた。フォード&マーキュリーがそれまでレースに使用していたトリノやサイクロンのエアロダイナミクスを改善すべく、大きく延長したフロント・ノーズを装着しはじめたのである。

 このライバルの動きを見て、ダッジはすぐさまチャージャー・デイトナのプロダクションを開始したのだが、その陰でチャージャー500の製造は予定していた500台に到達する前に打ち切られてしまった。現在では、チャージャー500の生産台数は392台と言われている。そしてそのほとんどに4バレルの440cuinV8が搭載され、426HEMIを搭載してリリースされたチャージャー500は100台に満たないと見られている。

 

 

 今回の取材車に話を移そう。この車両は、実走行距離が6万9000マイルの正真正銘オリジナル426HEMI搭載のチャージャー500である。オーナーはアリゾナ州に住むクリス・ペリー氏だが、氏がこのレアなMOPARと出会ったいきさつがなかなかに面白い。

 1980年代後半、ペリー氏の友人であるコッカー氏が「HEMIを搭載したMOPARが欲しいから、売っているのを見かけたら教えてくれ」と言ってきた。曰く、モデルは一切問わず、とにかくHEMIが載っていればよい、と。そこでペリー氏はアリゾナ州にあるHEMIを搭載したチャージャー500の話を思い出した。氏の記憶では、それはミネソタ州に住んでいた軍人が新車で購入し、後にアリゾナ州に転勤になった際に持ってきたものだった。そしてそのオーナーに連絡を取ったところ、そのチャージャーがフォー・セールであることを知る。この話を聞いたコッカー氏がそのチャージャーに飛びついたのは言うまでもない。全く錆びがなく、一切改造されていないオリジナルのHEMIチャージャーとくれば当り前だろう。

 そうしてチャージャーがコッカー氏の手に渡った訳だが、そこにはふたつの偶然が影響している。まず、このチャージャーがリリースされた時、アメリカはベトナム戦争の真っ只中だった。それにもかかわらず、軍人であったオリジナル・オーナーは戦地に行くことを免れ、購入直後にアリゾナ州へと転勤になった。もし、彼がベトナムに派遣されていたら、恐らくチャージャーは他の人間の手に渡っていたはずだ。さらに転勤先が乾いた天候のアリゾナ州だったことで、現在まで錆とは無縁でいられたのである。もし、その軍人がそのまま北部のミネソタ州内に居住していたら、雪や道路に撒く融雪剤の餌食になっていただろう。

 その後コッカー氏は17年間このチャージャー500を所有した。そして手放すことを決意したとき、手に入れるきっかけとなったペリー氏にまず話が持ちかけられた。そうしてチャージャーはペリー氏の手に渡り現在に至るわけだが、唯一ペイントが塗り替えられている(アリゾナの強い日差しの下では大抵のペイントは数年で褪せてしまうので、これは致し方のないところだろう)点を除いて、相変わらずオリジナル・コンディションを保っている。

 ちなみに、ペリー氏はこのチャージャー500を普通にドライブしている。アリゾナ中のストリートやフリーウェイを流し、そしてあちこちのカーショーにも自走していくのだ。

「どうしてチャージャーにこんな格好の悪いグリルを付けたんだ? せっかくのチャージャーが台無しじゃないか」

 時折、こんなことを言うMOPARファンもいるという。このマシンにまつわるNASCARヒストリーを説明しても、大抵彼らは納得のいかない表情をしているそうだ(笑)。特に現在の若いMOPARファンにとって、69年型チャージャーのイメージはTVシリーズや映画に登場したあのオレンジの“ジェネラル・リー”なのだ。

 このミディアム・グリーンに塗られたエアロ・チャージャーを見ると多くのMOPARファンが顔をしかめるという。ジェネラル・リーやチャージャー・デイトナは誰もが知っているが、このチャージャー500はレアな存在ということもあって、そこまで知られていないということだろう。それでも、MOPARのヒストリーだけでなくNASCARのヒストリーをも背負い、現在でも新車時と変わらぬ姿で走るこのマシンを間近に見ることができることを最高の幸運ととらえるファンも少なからず存在する。そしてもちろん筆者もそんなひとりである。

 


ダッジのデザイン・チームにより取り付けられたAピラー・カバー。風洞実験を経て採用されたもので、実際に空気抵抗の低減が確認されているパーツである。


乱気流を解消するためにわざわざデザインし直されたリア・ウィンドウ。この改善により乱気流が消え、高速走行時の安定性を得ることができた。反面、トランクの収納性などは犠牲になっている訳だが、NASCARで勝つことだけが目的だったチャージャー500にとって、そんなことは問題ではなかった。


チャージャー500のトランク・リッドは新たなリアガラスのデザインに合わせるために若干短くされている。そのためトランク開口部も狭くなり、あまり大きな荷物を積むことはできないという。


敢えてチャージャー500を選ぶようなオーナーは大抵ワイドなアフターマーケット製ホイールを装着したため、当時はこのキャップ付きのスチール・ホイールを履いて出荷されたクルマが多かった。

 


エンジン・ベイに詰め込まれたモンスターHEMI。クロームのエアクリーナーの下にはツインの4バレル・キャブレターが隠れている。ホースやワイヤー類以外は全て当時のオリジナル・パーツのまま。ラジエターサポート上部に見えるデカールもオリジナルで貼られたもので、決してリプロダクションではない。取材車はOEMタイプのバッテリーを搭載。バッテリー・ケーブルにオレンジのペイントが付着しているのは、当時のMOPAR車両でよく見られたオーバースプレーを再現したもの。


どこを見ても新車時と変わらない状態を保っている車内。オリジナルのハースト・シフターや木目調のシフトノブといったアイテムは、MOPARファンには堪らないものがあるだろう。ドアパネルを見ると、インナー・ドアハンドルの下にフレキシブル・ポケットが付いていることがわかる。これはR/Tと500だけが標準装備としたアイテムだ。