#074 65年型シボレー・シェベル・マリブ・SS396(Z16)

A-cars Historic Car Archives #074
’65 Chevrolet Chevelle Malibu SS396

Text & Photo : James Maxwell
(Muscle Car Review/2007 Sep. Issue)
Sep. 11, 2025 Upload

 1963年2月末、フロリダ州デイトナビーチ。NASCARの伝統的な一戦、デイトナ500が行われたその日、多くの観客で賑わうメインスタンドには数人のシボレー・エンジニアが紛れていた。サングラスに帽子を被り、いかにも「一般市民がレースを見に来ています」という風貌で。彼らはそこで何をしていたのか? 実は彼らエンジニア・チームは、その日レースに参戦していた数台のインパラのデータを収集していたのだ。そのインパラたちに搭載されていたのはあの“MarkⅡ”エンジン。当時のGMは公式にはレース部門のサポートを行っていなかった(自粛していた)ため、エンジンの開発もデータの収集も全て「水面下」で行われていたのだ。
 ここまで内密に開発が進められた“MarkⅡ”エンジンとはどんなエンジンだったのか? それはレースに勝つためだけにデザインされた、いわば“無敵”の427cuinV8だった。合計で43基生産されたこのエンジンは、現在では「ミステリー・エンジン」として知られている。
 このエンジンが投入される以前のシボレーは、NASCARレーサーに409cuinV8 エンジン(通称“W”Engine)を搭載していた。それは1957年に登場した348cuinV8の発展形だったが、基本設計が古いこともあって好ましいパフォーマンスを発揮することが難しく、シボレー・チームの悩みの種となっていた。そして1962年に新たなレース・エンジンの開発に踏み切ったのである。
 このプロジェクトの“頭脳”として抜擢されたのが、当時シボレー・ディビジョンでエンジニアを務めていたリチャード・カイナスという男だった。そしてプロジェクトを許可したのは、当時ディビジョン・マネージャーを務めていたバンキー・ヌードセンである。このプロジェクトには一切の制限がなかった。要するにどのようなデザインでも、そしてどれだけのコストがかかろうとお構いなしという、エンジニアにとっては夢のような環境が保証されたのだ。


 MarkⅡエンジンの話に戻ろう。まず開発陣が着手したのはシリンダー・ヘッドのデザインだった。そして、最適な吸気効率&燃焼効率を実現すべく、バルブには常識外れのアングルが付けられた。当たり前だが、当時はコンピューターなどが存在しなかった時代である。バルブアングルをはじめ、すべての設計はカイナス自身による計算&マッチング作業で行われた。
 独自のポート形状を持たせた上にインテーク・バルブに26度、そしてエキゾースト・バルブに16度のアングルが付けられた燃焼室は“ローテーテッド・ウェッジ・チャンバー”と呼ばれた。また、スタッドにボールジョイントをマウントすることで驚異的なパワーを発すると同時に、ライバルであるクライスラーのHEMIエンジンよりも低コストでのヘッド製造が可能となった。こうして完成したヘッドは文句のつけようがないポテンシャルを示したが、その外見は異様なものだった。そして、様々な角度でバルブシャフトが突き出ていることで、周囲から“ポーキュパイン(ハリネズミの意)ヘッド”と呼ばれるようになった。
 このシボレー427cuinV8“ミステリー・エンジン”が、1963年に投入されると同時にNASCAR界を揺るがせたのは言うまでもない。多くの読者がご存じだろうが、NASCARを走るマシンは、全て市販モデルが存在する車種に限られている。にも関わらず、シボレーは市販車に設定がないMarkⅡエンジンをNASCARレーサーに搭載したのだから、当然他のチームは怒りを露わにした。特に騒ぎ立てたのはシボレーの最大のライバルであったフォードで、無理矢理シボレーからサンプル・エンジンを買い取り、徹底的にリサーチを行ったりもした。つまり、それほどにMarkⅡエンジンがレースで猛威を振るったということでもある。
 だが65年3月、事件が起こる。その発端は、デトロイトで行われたある記者会見で、メディアが当時のGMの重役たちに、デイトナで話題騒然のMarkⅡエンジンについての質問を投げかけたことだった。そのエンジンの存在すら知らされていなかった彼らは激怒した。冒頭にも書いたが、当時のGMは一切のレース活動を自粛していた。にも関わらず内密に膨大なコストを費やして新しいレースエンジンを開発したことが明らかになったのだから、もう大騒ぎである。
 その翌月、GMでは「レースに少しでも関わるような作業をした社員は即クビ」といった勅令が下された。自分たちの知らないところで新開発エンジンのプロジェクトが進行していたという事実は、重役たちにとって相当に屈辱だったのだろう。そしてMarkⅡエンジンの開発プロジェクトにもピリオドが打たれることになったのである。


 ここで話は1965年に飛ぶ。この頃になると既に「マッスルカー・ウォーズ」が開戦しており、各メーカー、ブランドが競うように大排気量&ビッグパワーのモデルをリリースしていた。すでにポンテアックGTOなどが幅を利かせていたこの時代だが、GM最大のデビジョンであるシボレーがそれを黙って見ているわけがない。そしてデビューしたのがマリブSS396である。さらに、このマリブに載せられた“ターボジェット”396cuinV8のベースになったのが、あの「ミステリーエンジン」と呼ばれたMarkⅡ427だったのである。よりパワフルな427cuinをなぜそのまま搭載しなかったのか? という疑問が湧くかもしれないが、実は当時のGM本部のポリシーによってAボディ・モデルに排気量400cuin以上のエンジンを搭載することが禁じられており、その上限に近い396cuinとされたのである。この396cuinV8はMarkⅣと呼ばれ、MarkⅡの4.251インチ・ボアを4.094インチまで縮小したもの。だが、ベースは同じエンジンといっていいだろう。
 MarkⅣ396の主な内容は、圧縮比11.0対1、鍛造ピストン&クランク、ヘビーデューティ・コンロッド、4ボルト・メイン・ベアリング・キャップ、2.19インチ(in.)&1.72インチ(ex.)バルブ、ホット・ハイドロリック・カムシャフト(デュレーション342/346度)、アルミ製ハイライズ・インテーク、ホーリー800cfmキャブレター、デュアル・エキゾーストといったところ。最高出力は375hp@5600rpmとされていた。
 このシェベル・マリブ・SS396はZ16パッケージとも呼ばれており、エンジンのほかに強化フレームや12ボルト・リアエンド、ヘビーデューティ・ブレーキなども装備され、サスペンションもベースグレードのマリブより格段にスポーツ色の強い仕様となっていた。前後のスプリングやスウェイバーもより強化されたものを装備。そしてこのZ16パッケージのトランスミッション設定はマンシーのM20 4速MTとなり、オートマチックは設定されていなかった。
 インテリアでは、6000rpmからレッドゾーンとなるタコメーターと、160mphまで刻まれたスピードメーターが目を惹く。また、ステレオは当時最先端を行っていたAM/FM“マルチプレックス”ステレオ・ラジオが標準装備となっていた。一方、エクステリアで最も目立つのはフロントグリルだろう。ベーシック・マリブのクロームグリルと違い、SSにはブラックアウト・グリルが採用され、見るからに悪そうな面構えを作り出していた。フロントフェンダーに備わる“396Turbo-Jet”や“SS”エンブレムもこのZ16 マリブの特徴である。


 Z16のパッケージ価格は約1500ドル。当時のベース車両価格が2647ドルなので、おいそれと手を出せるようなオプション・パッケージではなかった。事実、1965年型として約3万6000台のシェベル・マリブが生産されたのだが、そのミッドイヤーから投入されたZ16は僅か201台が生産されたに過ぎないのである。さらにそのほとんどはGMのVIPやセレブリティ、有名なドラッグ・レーサー、あるいはディーラーのデモカーとして販売された。つまり、65年型Z16の投入はプロモーション的な色合いが強かったということなのだが、ある意味、このZ16は新車時から既にコレクターカーだったと言うこともできよう。
 さて、Z16シェベル・マリブの実際のパフォーマンスだが、当時としては目を見張るものだった。ファクトリーが発表したクォーターマイルのデータは14.6秒@100mph。最速の記録としては、シズラー・ターボニックというショップで850hpまでスープ・アップされたSSが9.9秒@149mphというタイムを記録している。残念ながらそのマリブはジョージア州のドラッグ・ストリップで横転するアクシデントに見舞われて大破してしまったが……。
 ちなみに、65年型Z16のコンバーチブル・モデルが1台だけ作られたといわれているが、現在に至るまで発見されていない。1970年8月号のホットロッド誌で、デトロイトに住むテリー・ザポルスキという人物が投稿した記事中において自分がそれらしき車両を所有していることがほのめかされており、その後多くのコレクターが手掛かりを得ようと調査に乗り出したものの、現在その人物がどこに存在しているかも不明のままである。
 写真で紹介している65年型シェベル・マリブSS396は、現在その存在が明らかになっている68台の中の1台。オーナーは本誌の取材に幾度となく協力してもらっているノース・ダコタ在住のマッスルカー・コレクター、ビル・ワイマン氏である。美しくレストレーションされ、極上のコンディションにあるこのリーガル・レッドのZ16を見れば見るほど、当時のマッスルカー・ウォーズに対するシボレーの意気込みが伝わってくる。


搭載エンジンはL37、396cuinV8。ミステリー・エンジンとして騒がれたMarkⅡ427cuinV8をストリート向けにデチューンすることで誕生したエンジンと解釈してよいだろう。クロームのエアクリーナーカバーやバルブカバーもファクトリー純正のアイテム。最高出力は375hp@5600rpm、最大トルクは460lbft@3600rpm。65年のミッドイヤーになって設定されたシェベル・マリブZ16だが、それで直接的に販売台数を増やすという意図はなく、むしろ新しい396ユニットのショーケース的な意味合いが強かった。そしてそれが功を奏し、翌66年型からモデル・ラインに並んだシェベル396SSが人気を集めることに繋がった。


当時のカーライフ・マガジン誌において「グロテスクで不細工な“インチキ”マグホイール”という印象」と酷評された一方で、モータートレンド誌では「これほど見事にマグホイールを模したホイールカバーにはお目にかかったことがない。オーナーが実際に取り外さなければ、誰の目にもマグホイールにしか見えないだろう」とベタ褒めされたマグホイール風ホイールカバー。純正アイテムだが、確かに写真で見る限りではオプションのマグホイールにしか見えない。ゴールドのストライプが入ったタイヤは当時グッドイヤーまたはファイアーストーンから供給された。サイズは7.75×14。


取材車はオプションのタコメーター(U16)を選択。ちなみにこのタコメーターはインパネに組み込まれており、ダッシュボード上に備わっているのは時計である。ダッシュパッド、前後シートベルト、AM/FMマルチプレックス・ステレオ・ラジオ、リモコン・ミラーなどは、すべてZ16のパッケージに含まれるアイテム。


SSモデルを含めて、通常ならばリアフェイス全体がクロームのモールディングで囲われるが、Z16は下半分だけが囲われるデザインとなり、リアフェイス中央に入るCHEVROLETのスクリプト・バッジも姿を消している。また、テールレンズもマリブのものではなく、低グレードのレンズが流用される。リアフェイス右上にはMalibu SS 396のエンブレムが入り、これが直接Z16であることを示している。


バイナルトップを持たないことで、よりボディのクリーンさが強調されている撮影車。ボディカラーはコードRのリーガル・レッド。Z16に用意されたボディカラーはこの他にコードAのタキシード・ブラックと、コードYのクロッカス・イエローだけだった。わずか201台しか製造されなかった65年型シェベル・マリブSS396にあって、現存が確認されている固体は100台にも満たず、各個体はオプションの内容やボディカラーに関係なく、その全てが貴重な扱いを受けている。