A-cars Historic Car Archives #044
'62 Chevrolet Biscayne 409/409
62年型シボレー・ビスケイン409/409
Text & Photo : James Maxwell
(Collector Car Review/2008 Aug. Issue)
Jan. 30, 2024 Upload
クォーターマイルを駆ける姿から、ドラッグ・ストリップにおいて“The Muscle Car World's First Rock Star!”(マッスルカー界初のロックスター)と呼ばれた伝説的なエンジン、シボレー409。1960年代前半にはドン・ニコルソン、ビル・ジェンキンス、バディ・マーチン&ロニー・ソックス(それぞれ別のマシン)などをはじめとする数多くのドライバーがこのシェビー409を搭載したマシンでドラッグ・ストリップを駆けていた。そしてシボレーもセールス・プロモーションの一環として、こうしたレーサーたちを様々な形でサポートしていた。
当時この409エンジンにRPO(レギュラー・プロダクション・オプション)コード587の2x4インテーク・システムを組み合わせると、その価格はベース・プライスに484ドルのプラスとなった。これはアルミ製インテークにカーターのAFBキャブレターが2連装された仕様だが、シングル・キャブレター、つまりスタンダード仕様の409エンジンを29馬力上回る、409馬力という驚異的なパワーを発生した。484ドルという金額は、当時としてはかなり高価なオプションといえる。それでも、ストリート&ストリップを制したいパフォーマンス重視のカスタマーにとっては安い買い物だった。
この409エンジンの人気のピークは1962年といわれ、実際にこの62年には1万5000基あまりの409エンジンがビルドされている。当時最も流行った409のスープ・アップ方法は、効率が悪いと言われていた純正エキゾースト・マニフォールドをチューブラー・ヘダースに交換することだった。特に、各シリンダーの点火順序を考慮して最も理想的な排気効率を実現したデザインとして名を上げていたS&Sヘダー・カンパニーのヘダースに交換するのが最もポピュラーだったようだ。
同じ頃、カーライフ誌がこの409のテストを行い、そのパフォーマンス・ポテンシャルを世間に知らしめた。テスト車両は62年型のベルエア・スポーツクーペで、2x4インテーク・システムを持つ409パワープラント、クロスレシオの4スピード・マニュアル・トランスミッション、そして4.56対1のリアエンドという内容。足まわりはヘビーデューティ・サスペンションで14インチのスリックタイヤを装着。その他にもNHRAのレギュレーションに基づいた0.06オーバーのピストン(圧縮比11.0対1)が採用され、キャブレターのジェット・セッティング、エンジン内部のバランシングなどについてもモディファイされていた。もちろん、エキゾースト・マニフォールドは前出のS&S製ヘダースに交換されていた。
これらのモディファイの結果、テスト車両である62年型ベルエアはクォーターマイルを12.22秒@115mphという堂々たる結果を残した。このテストでドライバーを担当したのはマシンのオーナーでもあるフランク・サンダースだが、マシンのチューニングだけではなく、彼のドライビング・テクニックもこのタイムに大きく関係したといえる。彼はまずホイールスピンを抑えるべく1500~2000rpmでスタート。その後はクラッチを微妙に煽りながら回転数を制御し、6000rpm辺りで路面にフルパワーが伝わったところでスピード・シフトを行った。文字にすれば簡単だが、これはやはり熟練したドラッグレース・ドライバーだからこそなし得たドライビングであり、アマチュア・ドライバーだったら0.5……いや、1秒はタイムが伸びてしまっただろう。
さて、全米各地のドラッグ・ストリップでそのワイルドさを見せつけたシェビー409は、もちろんストリートでもポピュラーな存在になった。なにしろこの当時は毎日のようにラジオから“409”が流れていたのである。ホットロッド・バンドとしても知られるビーチ・ボーイズが“409”というタイトルのシングル・レコードをリリースしたのは1962年6月4日のこと。その歌詞は、シェビーの409がどれだけ速くてパワフルかということをアピールするもので、そのキャッチーなフレーズは瞬く間にティーンエイジャーの心を掴み、一気に全米チャート14位まで登った。そして、当時13歳だったジョン・サヒッドという少年もビーチボーイズの歌う409に心をときめかせたひとりだった。
ジョンが住んでいたニュージャージー州では17歳で運転免許証を取得できるのだが、彼は待ちきれずに何と15歳でファースト・カーを手にいれた。409の影響ですっかりシェビー党になっていた彼が購入したのは、ユーズドの62年型シェビー。283cuinV8を搭載したそのマシンは、いたるところに修理が必要な状態で、そのぶん安く手に入れることができたという。そして、まだ免許がなかったこともあり、ジョンは62年型シェビーのリペアやメンテナンスに明け暮れることになった。地元のカーショップでバイトをしながら腕を上げていった彼は、ボディワークを含めて全てのリペアを自らの手で行ったという。後にジョンはその62年型を手放して64年型インパラSS(327cuinV8 & 4MT仕様)を入手。その後は65年型ビスケイン・2ドア・セダンを手に入れた。このビスケインには427ラットモーター(435馬力仕様のL71エンジン)を搭載し、近隣各地のドラッグレースに参戦しながらストリートでも名を上げていったのだ。
こうしてシェビーを乗り継ぎながらレーシング・ライフを満喫していたジョンだが、ある日アメリカ政府から一通の手紙が届いた。それはベトナム戦争への徴兵命令だった。数年後、ジョンは無事に任務を終えて地元に戻ることができたが、結婚をして家族を持つようになると以前のようにレースを楽しむ余裕はなくなってしまった。
時は流れて1990年代前半、ジョンはニュージャージー州からアリゾナ州に移住。そしてこの転居をきっかけに彼は第二のハイパフォーマンス・シェビー・ライフをスタートさせた。最初に67年型コルベットを見つけてきて、時間をかけてフレーム・オフ・レストレーションを完了。続いて327cuinV8を搭載した62年型ベルエアを手に入れ、これもレストアした。
その次に彼が選んだベース車両は62年型ビスケイン。女性オーナーによるワンオーナーカーで、実走行5万7000マイルという上物だった。ボディの数カ所に小さなへこみが見受けられたものの、全体的なコンディションは最高に近かった。だが、残念なことに搭載していたエンジンはファクトリーの直列6気筒。ハードコアなボウタイマニアがこれで満足するはずがなく、早速ジョンは移植する新たなパワープラントを探し始めた。といっても彼の頭にあったのはただひとつ、409である。2ドア・ビスケインと言えば62年当時は“スリーパー”として人気があったモデル。ストックの外見にモンスター・エンジンという組み合わせが流行った時代だった。
そして、驚くことにジョンはいとも簡単に409を探し出してしまった。それもブロックの打刻から見る製造年月日は1962年2月26日で、ベース車両の年式ともマッチするというおまけつき。さらにシリンダーヘッドに加えて2x4インテーク・マニフォールドもナンバーズ・マッチングというコンプリートさである。彼はすぐさま必要なパーツをアメリカ中から探し出し、この409cuinV8をリビルド&バランシング。62年当時のままの形で409エンジンを完成させ、さらに3.70対1のポジトラクションとボルグ・ワーナー製の4スピード・トランスミッションを手に入れた。
エンジン&ドライブトレインが揃ったところで次はボディワークだ。もともとコンディションは良かったものの、ジョンは「完璧」にこだわり、レストアを決意。オリジナル・ペイントであるトワイライト・ターコイスを下地ごと総剥離し、鉄板剥き出しの状態にした。そしてパテを一切使用せず、鈑金のみでボディを完璧にストレートな状態にした。続く下地処理では、やはりジョンの拘りで当時シボレーのファクトリーが使用していたのと同じレッド・オキサイドを吹き、最後にオリジナルのトワイライト・ターコイスで再塗装。完成までに要した時間は15ヵ月。搭載するのはオリジナル・エンジンではないものの、あたかもこの状態で納車されたような素晴らしい仕上がりとなった。
プロジェクト完了後、ジョンはこのビスケインをカリフォルニア州で開催されたクラシック・シェビーCCI/WCAショーに出展した。このカーショーはジャッジメントが非常に厳しいことで知られているのだが、ジョンのビスケインは1000点満点中944点という実に高い評価を受けている。その後もスーパー・シェビーやグッドガイズのショーなどで高得点を獲得し、このビスケインの完成度の高さは広く認められることになった。
余談だが、実はジョンの自宅ガレージにはもう1台別のシェビー409、それもナンバーズ・マッチングの62年型ベルエア409が収まっている。そしてさらにもう1台、409のバブルトップがレストレーション中にあるという。13歳の頃から409に憧れ続けてきたジョン。40年以上の時間がかかったが、少年の頃に抱いた夢を諦めることなくこうして形にした彼に敬意を表したい。
ヘビーデューティ・サスペンションの装着により、若干お尻あがりのスタイルが印象的なシェビー409/409のリア・ビュー。デュアル・エキゾースト(テールパイプ径は2インチ、エキゾースト・パイプ径は2.5インチ)がハイパワー・エンジンを物語る。119インチホイールベースのボディは、オリジナルのトワイライト・ターコイズ(カラーコード917)にリペイント。細部を見れば見るほどその抜かりのないディテーリングに圧倒される。
当時の409エンジンにクロームパーツは一切使用されなかったが、そんなところも忠実に再現されている。タイプWとして知られる1962年の409エンジンは、ソリッド・バルブリフターを採用し、圧縮比11.0対1という仕様。4バレル・キャブレターを2連装することで、409hp@6000rpm、420lbft@4000rpmという驚異的なパワーを絞り出した。バルブ径はインテークが2.203インチ、エキゾーストが1.734インチ。
当時はより吸気効率の高いアフターマーケット・パーツに取り替えられてしまうことが多かったエアクリーナー。今となっては非常にレアなパーツだ。
シングルのマスターシリンダーはオリジナル・アイテム。新品の様なコンディションだ。同じく新品のようなジェネレーターはデルコ・レミー製。
ホースやホースクランプの様な細かな部分にも当時のパーツを使用。本当に細部まで隙のないディテーリングが、カーショーでの高評価に繋がっている。
ヘッドライナー以外全てオリジナル状態にある室内。カーペットはもともと敷かれておらず、足元はラバーマットのみだ。美しいドアパネルは新車時から備わるオリジナル・パーツ。
懐かしいスタイルのクロームタコメーター。これは当時49ドルのオプション・アイテムで、409hp仕様の409エンジン搭載車がよくチョイスしていた。サン社のEB-9Aというタコメーター・トランスミッターが当時の409モデルのスタンダード。
当時409に標準装備された6インチ幅のワイドホイール&B.F.Goodrichの8.0×14バイアスタイヤがチョイスされている。ちなみにこのホイールキャップもオリジナル。
大きなトランクに収められているジャッキやスペアタイヤまでもがショールーム・コンディション。
一見しただけでは老婦人が乗っていそうなイメージもあるが、よく観察してみると、ワイド・ホイールに409エンブレム……まさに寝たふり=スリーパーである。当時はフロントフェンダー先端に備わる409エンブレムがあまりにも強烈なイメージで、敢えて「スリーパー」を狙ってこれを取り外すオーナーも多かったという。