A-cars Historic Car Archives #021
'63 Studebaker Avanti
63年型スチュードベーカー・アバンティ
Text & Photo : よしおか和
(Studebaker Classics/2012 Mar. Issue)
Aug. 13, 2024 Upload
今月ご紹介するのはスチュードベーカーのアバンティ。同社はもともと1852年に馬車メーカーとして創業し発展を遂げたインディアナ州の自動車メーカーだが、60年代に消滅したこともあって現在の日本では馴染みも薄い。だからこのアバンティも“知られざる名車”というイメージが強いが、間違いなくアメリカ車の歴史にその名を刻む誉れ高き存在なのである。
昔から質が高く性能も優秀なクルマを製造することで定評のあったスチュードベーカーだったが、時代を追う毎に勢いづくデトロイトのビッグスリーに小規模メーカーが単一では対抗しきれず、54年にはパッカードと合併。だがその4年後にはそのパッカード・ブランドを廃止せざるを得ないほどの経営危機に直面してしまった。ここで同社はまだビッグスリーが手をつけていなかったコンパクトカーに活路を求めてひと息つくことができたものの、60年代に突入するとフォード・ファルコンを皮切りにビッグスリーがこれを追撃。再び窮地に追い込まれたスチュードベーカーが起死回生を図るために開発したのが、同社本来の高品質で個性的なラグジュアリー・クーペ、つまりこのアバンティだったである。
そのアバンティの最大の特徴と言えるのが、エクステリア・デザイン。ラジエターグリルをバンパー下に配して左右のヘッドライトの中間にはなにもなく、ノペッとした表情のマスクがあまりにもキュートで印象的だが、それだけに留まらず、絶妙なラインを描くボディの随所に過去にはなかった独特のセンスを窺わせている。これらは20世紀におけるインダストリアル・デザイナーの巨匠、レイモンド・ローウィによるものだ。ローウィは自身の著書『口紅から機関車まで』のタイトルどおりあらゆるジャンルで活躍したデザイナーであり、コカコーラや煙草のラッキーストライク、シェル石油のロゴ、ユナイテッド航空機のカラーリングなど、彼を知らずとも誰もが彼の作品を目にしたことがあるはずだ。スチュードベーカーでは30年代から部分的なカーデザインをローウィに依頼していたが、47年型からは彼がトータルで完成させたモデルが話題を呼んだ。特に50年代前半のチャンピオンやコマンダーの独創的なフォルムはスチュードベーカーのブランド・イメージを定着させた傑作と言えよう。しかし、パッカード・ブランドを廃止してコンパクトカーのラークを開発する段階で、スチュードベーカーは一旦ローウィーから離れた。その理由ははっきりとは分からないが、おそらく予算的なものが大きかったのだろう。結果としてラークはそこそこ売れたが、それはあくまでライバルがいなかったからであり、冷静に見るならば少なくともデザイン的にはあまり面白味のないクルマだった。
そして、スチュードベーカーが生き残りを賭けたラグジュアリー・クーペには、やはりローウィーの力が必要だった。すでにギリギリのところに立たされていた同社の開発費には限りがありシャシーはラークのそれを転用したが、63年型として誕生したその新型クーペ、アバンティは、まさに新時代を予感させるルックスを備えていた。また、このアバンティはボディのマテリアルにFRPを採用していることでも一層注目されることになった。4445ドルという非常に高価な設定ながら多くのカスタマーからオーダーが殺到し、この年のインディ500マイル・レースのオフィシャル・ペースカーにも選ばれたのである。
ところがである。そのFRPボディの生産はモールデッド・ファイバーグラス・プロダクツ社に依頼していたのだが、同社はコルベットのボディ製造を担当していたこともあって生産がまったく間に合わず、オーダーのほとんどがキャンセルとなってしまった。さらに皮肉なことに、インディ・ペースカーの方もラークで代用するというお粗末な結果となってしまった。
結局世に放たれた63年型アバンティは僅かに3834台と記録され、翌64年型ではボディの製造を自社に移したものの、そのプロダクションは僅か808台に留まった。そして、スチュードベーカーが本拠地をカナダに移した65年型では、そのラインナップにはもうその名はなかったのである。
翌66年、スチュードベーカーは遂に消滅したが、アバンティはそれを扱っていたディーラー2社が共同でアッセンブリー・プラントや在庫パーツを買い取ってアバンティⅡとして生産が続けられ、実は日本にも80年代の終わりまで細々とではあったが輸入されていた。
アバンティは既存のコンパクトカー、ラークのシャーシを流用して開発された。ホイールベースは109インチ(約2769㎜)、全長は192インチ(約4877㎜)。言ってみればポニーカー・サイズの高級パーソナル・クーペである。撮影車のボディカラーはアバンティ・ゴールドと称された独特のシャンパンゴールド。実はローウィ自身がこのカラーの63年型アバンティをプライベート・ユースしていたという情報を得て、昔からローウィを敬愛する日本人デザイナーの現オーナーがこれにこだわってオリジナルカーを入手し3年の歳月を掛けてレストアしたものである。
レイモンド・ローウィが作り上げた独創的なデザインの中でも、特に印象的なのがこのマスク。ラジエター・グリルをバンパー下にまとめ、左右の丸いヘッドライトの中間にはなにも配されなかったのが特徴で、結果としてこんなにキュートな表情が実現した。64年型ではライトベゼルが四角に変わり、また66年から生産が開始されたアバンティⅡもそれに倣っていたため、完全に真ん丸の目をしたアバンティとなるとこの63年型に限られる。
クォーターの造形も特徴のひとつ。ローウィがフランス人だからか、どことなくヨーロッパの香りも感じられる。。
搭載するエンジンはスチュードベーカー製の289cuinV8。R1と称された標準型は圧縮比10.25:1で最高出力240hp@5000rpm、最大トルク280lbft@4200rpmを発生した。撮影車はそのR1にパクストン製のスーパーチャージャーを組み合わせ、最高出力289hp、最大トルク303lbftまでパワーアップされたR2を備えるモデルだったが、狭いコンパートメントの中にエアコンの装着を求めたことで、コンプレッサーの代わりにスーパーチャージャーが外されている。なお、64年型ではR1、R2に加えて304.5cuinのR3(335hp)とR4(280hpと表示されるが圧縮比12.0:1で実際にはレース・エンジン級)がラインナップに加わり、アバンティⅡではシボレー製の327ユニットが採用された。
インテリアは一貫して高級かつ上品なイメージ。ここでも随所にレイモンド・ローウィのワザが見られる。この2本スポークのステアリングホイールも、当時としてはかなり未来的な造形に映ったはずだ。
当時のタイヤサイズは6.70×15。撮影車はこれに準じたファイアストン製のホワイトリボン・ラジアルを履く。ホイールキャップはもちろんオリジナルだ。