A-cars Historic Car Archives #024
'69 Dodge Charger Daytona 426HEMI
69年型ダッジ・チャージャー・デイトナ 426HEMI
Text & Photo : James Maxwell
(Muscle Car Review/2006 Aug. Issue)
Sep. 6, 2024 Upload
1969年、当時ダッジのゼネラル・マネージャーを勤めていたボブ・マッカリーはチャージャー・デイトナのデザイン画を見るや否や「なんて格好の悪いクルマなんだ」とつぶやいた。そして続けざまに、「これでレースに勝てるのか?」とエンジニアたちに問いかけた。そして、勝利を確信している表情の彼らを見て「だったらすぐに作ろう」とマッカリーはチャージャー・デイトナのプロダクションを即座に実行させた。
マッカリーの口癖は“The name of the game is WIN”。ゲームだろうとレースだろうと、とにかく“勝つ”ことに執念を燃やす男だった。エンジニアたちはそんなマッカリーを心から慕っており、それを証明するかのようにプロトタイプのダッシュボードには彼の写真がテープで貼られていた。
1960年代終盤のアメリカでは、ストックカー・レースが最高の盛り上がりを見せていた。当時、各メーカーがこぞってストックカー・レースに力を入れていたのは、レースでの成績が同型市販車のセールスにそのまま反映されたからだ。“Win on Sunday, Sell on Monday=日曜日に勝ち、月曜日に売れ“という有名なフレーズは決して過言ではなかったのである。この時代はまさに周回レースのゴールデン・エイジであり、スピードウェイは各メーカーにとって自社の誇り高きマシンを売り込む格好のステージだったのだ。
そんな60年代も最後となった69年シーズン、当初ダッジはストックカー・レースにチャージャー500で参戦していた。ちなみにこの”500”というネーミングは当時のNASCARのレギュレーション=市販車をベースとしたホモロゲーション・モデルを500台生産しなければならない、という規定に由来するもの。そしてそのチャージャー500は、69年型チャージャーをベースにフロントグリルやリアウィンドウ、リアエンドなどのデザインが変更された程度で、ライバルのフォード・タラデガやマーキュリー・サイクロン・スポイラーⅡと比較して空気抵抗が格段に大きかった。そこでダッジのエンジニアは空気抵抗の改良にフォーカスを絞って新生NASCARチャージャーの開発に着手。なんとも派手なウイングをまとったチャージャー・デイトナのコンセプトを短期間のうちにまとめあげたのだった。
デイトナの開発プロジェクトでは5mphのラップ・スピード上昇が目標として掲げられ、様々なノーズ・デザインやウイング形状/サイズを組み合わせて試行錯誤が繰り返された。ボディ・フォルムのみで5mphを稼ぎ出すには並大抵のデザイン変更では難しかったのである。そして、ダッジのスタイリング部門はこのプロジェクトに関わることを一切を許されなかった。それはつまり、レースに勝てさえすれば、マッカリーにとってルックスはどうでもよかったということである。
そうしてフルサイズおよび3/8スケール・モデルを用いてのエアロダイナミクス・テストが繰り返され、最終的に決定したボディの改良部分は以下の通りだった。
●フロントノーズの18インチ延長。
●フロントタイヤのクリアランスを稼ぐため、両フェンダー上部にスクープを装備。
●空気抵抗対策としてAピラーにクロームのパネルを装備。
●あの象徴的な巨大リアウイングの装備。
こうして完成したデイトナが前モデルであるチャージャー500から受け継いだ要素は、わずかにリアウィンドウ・デザインのみだった。
見る者全てにショッキングなイメージを与える奇妙なノーズとそびえ立つリアウイングのコンビネーションは当時としても例を見ないもので、どこへ行っても注目の的だったことは言うまでもない。そのノーズ形状は空気抵抗を減らすと同時に直進安定性の上昇にも一役買っていたといわれている。その他、ノーズ先端から13インチ(約3302mm)ほど奥まった位置にセットされたアンダー・エアダム、正面中央に備えられた2本のエンジン冷却用エアダクトなども特徴的な装備である。
とはいえ、チャージャー・デイトナ最大の特徴は間違いなく巨大なリアウイングだろう。ウイング部の幅は7.5インチ(約190mm)で“クラーク・Y・エアフォイル” と呼ばれる飛行機の翼の形状をした板を裏返したようなデザインになっている。このウイング部分は、両サイドのボルトによって上下に12度の幅で角度調整が可能。サイドピース(脚)の幅は上部が幅7.5インチで、下に行くにつれ広がり、ベース部分の幅は15インチ(約381mm)である。ちなみにベースはボディを貫通してトランクフロアに固定されている。ウイング全体のサイズは、全幅が57インチ(約1448mm)で高さが23.5インチ(約596mm)。なぜこの高さに設定されたかというと、これ以上低かったらトランクリッドが開かず、スペアタイヤが取り出せなくなってしまうからだ。このあたりは市販車モデルをベースとするNASCARマシンならではの面白いエピソードといえよう。
もうひとつ、このウイングにまつわる面白い話がある。これは開発テスト中に偶然発覚したことだが、高速コーナーでリアが流れてしまった場合、面積の大きいサイド・ピースが空気抵抗となりマシンのリアを元の位置に押し戻す効果を発揮したのである。これはまさに「ラッキー」以外のなにものでもない。なぜならば、元々はもっと低いウイングを付けるはずだったのだが、先述のようにトランクの開閉問題でこのサイズに落ち着いたからである。なんにせよ、こんな偶然による副産物もあって、デイトナは抜群の直進安定性を誇ったのである。
チャージャー・デイトナのパワープラントだが、標準装備されたのは440マグナム。オプションで2×4バレル・キャブレターの426HEMIも用意されていたが、どちらのエンジンを選ぼうオプションでエアコンを選択することはできなかった。なぜならば、チャージャー・デイトナのフロントノーズはエアインテークが狭過ぎて、十分な冷却が不可能だからである。また、これは余談だが、デイトナのフロントノーズはスチール製なのだが、1969年4月13日にプレス・デビューしたプロトタイプ車両だけにはワンオフのファイバーグラス製ノーズが装着されていた。この時の報道のせいで未だに「デイトナのノーズはファイバーグラス製」と信じ込んでいる人は多い。
さて、こうしてチャージャー・デイトナが完成すると、やがて数々の雑誌がテストを行い様々なインプレッション記事を掲載した。モータートレンド誌のエリック・ダルクイストは「ポンテアック・ボンネビルとボーイング707をミックスした様なルックスを持つ史上最速のコレクターズ・アイテム」と評した。スーパーストック&ドラッグ誌のジム・マックローは「どこを走っていても常に注目の的。みんな口を開けて見ていた。その上、このスタイリングのおかげで2回も警察に停められた。あと、このボディは本当に凄い。80mphくらいでエアロダイナミクスの変化が体感できるが、そのまま4マイルほどステアリングを握らなくてもバランスを崩すことなく巡航できた」。
この様な印象をジャーナリストたちに与えたデイトナだが、それを読んだ読者の反応も様々だった。たとえば「こんな物を売り出したらダッジはいい笑いものになる」、「冗談だろ? リアに物干し竿を乗っけたボートみたいじゃないか!」といったネガティブな意見もあれば、「最高にグルービーなスタイリング」、「バットマンが乗りそう」といったポジティブ(?) なコメントも寄せられた。まあどちらにせよ、チャージャー・デイトナがリリース当初から注目の的だった事に間違いはないだろう。
NASCARのレギュレーションん沿って計503台が生産されたデイトナはレースのことだけを考えて作られたマシンであり、先述したように“市場におけるスタイリングの受け”は、その製作過程において完全に無視された。その甲斐あってタラデガ500のデビュー戦でリチャード・ブリックハウスのドライブするゼッケン99のデイトナは見事に優勝を果たす。当時フォードのトップ・ドライバーだったデビッド・ピアソンは「見るだけで恐ろしくなる」とチャージャー・デイトナのルックスに対してコメントしたそうだ。デビュー戦以降もデイトナはNASCARで優秀なリザルトを残し続け、1970年にボビー・アイザックはナンバー71のデイトナで11回の優勝、そして47戦中38回のトップテン入りを果たした。ダッジの“WINGED WARRIOR=翼の生えた戦士”は、当時のNASCARを牛耳っていたといっても過言ではない。「恐ろしい」とまで言われたこのボディ・スタイルで、ダッジは数々の勝利を掴んだのである。
今回取材することの出来たT5・カッパー・メタリックのHEMIチャージャー・デイトナは、キャル・アンダーソン氏と彼の妻により見事にレストアされた1台だ。このデイトナは1969年にウィスコンシン州の男性がオーダーしたものだが、途中で気が変わり、他のカスタマーの手に渡った、というヒストリーを持っている。アンダーソン氏はその次のオーナー。つまりこのチャージャーの3rdオーナーである。アンダーソン氏はこのチャージャーであちこちのカーショーに向かい、毎回トロフィーを持ち帰った。また、1998年にはトイ・メーカーであるERTLがこのチャージャーの1/18スケールのミニチュアを作って販売している。その後、このスーパー・レアなMOPARマッスルは本誌でもお馴染みの高名なMOPARコレクター、ビル・ワイマン氏の手に渡り、現在は彼のコレクションの1台となっている。時にこのマシンをソルト・フラッツに運んで全開走行を楽しんでいるというワイマン氏によれば、このチャージャー・デイトナには非常に便利な特徴があるという。
「デイトナはね、どれだけ広い駐車場に停めていてもすぐに見つけることができるんだよ(笑)」
いや、そりゃ確かに……(笑)。
郵便ポストの投入口に似ている事から”Mail Slot”などとも呼ばれるフロントノーズ中央のエアインテーク。ご覧のようにあまりにも狭く小さいため、ストリートではどうしてもオーバーヒート気味になってしまうという。当時、エアコンのオプション設定がなかった最大の理由がここにある。
フロントフェンダーの左右上部に設けられたレーシング・スクープは、タイヤのクリアランスを稼ぐために備えられたもの。エア・インテークとしての機能は一切持たない。
チャージャー・デイトナやチャージャー500のリアウィンドウは、より空気抵抗を減少させるデザインを採用しており、スタンダードなダッジ・チャージャーの持つ特徴的なリアウィンドウ(リアガラスがサイドパネルよりも奥まった位置に備わっている)とはデザインが大きく異なる。
トランクにはジャッキがふたつ収まる。これは、チャージャー・デイトナがフロントに通常のバンパーを持たず、当時一般的だったバンパージャッキをかけられなかったためである。トランク内の両サイドに見えるリアウイングのレインフォースメントにも注目。
取材車が搭載するのは425馬力を発するパワーユニットの426HEMI。ストリート仕様として圧縮比は10.25:1に抑えられているが、SS1/4マイル13秒台という実力。ちなみにこれはプアなストリートタイヤを履いてのタイムである。フェンダータグを見ると、HEMIエンジン(E74)、カッパーメタリックのボディカラー(T5)、ホワイトインテリア(C6W)などがオリジナルであることがわかる。
そもそもが503台しか製造されなかったデイトナだが、その中でもホワイト・インテリアは非常にレアな存在。さらにカッパー・メタリックのボディカラーとのコンビネーションとなると、ほとんど存在しない。
撮影車はリプロダクションされたマグナムホイールを装備。当時オプション設定されたW23キャストアルミホイールはリコールとなり(鋳造の問題で強度が足りずホイールが脱落する危険があった)、装備車両はディーラーでマグナム・ホイールと交換されたという。
下まわりを除くと、取材車のコンディションの高さがよくわかる。4.10:1のギアが組まれたDANA60のリアエンドはオリジナル。奥にはストックの4スピードも見受けられる。